スパイラル

3万円で二重になれるらしい。

いまだに見た目みたいなわかりやすいところにコンプレックスを抱えて、ベッドで呻いていたり、泣きながら眠りについたりしている。辛いのは、自分が気に入らない自分の姿なのではなくて、自分が好きな自分の姿を他人に気に入られないことなのだ、と、思っていること、に気付いてしまったこと。なんて虚しい人生なんだ。

これからも私は「いかに私の思う幸せに他人を存在させないか」みたいなものを求めると思う。求めているていで。でも、本音は全くそんなこともなく、誰かによく思われたい、愛されたい、ああ思われたいこう思われたい、望みはどこまでも続く。

この重たい瞼ひとつ取ってみても、26年間、長い長い戦いでした。昨日はあんなに憎くて仕方なかったのに、今日になったら意外と愛せるじゃん。みたいなのをくりかえしてきた。意外と愛せる朝があるから、整形するに至らない、だから愛せない夜もある。人生はそういうものだと割り切ってしまえれば楽になれるのでしょうか。みんなそう思いながら生きてるのでしょうか、偉すぎる。

そもそも「自分が好きな自分の姿を他人に気に入られないことなのだ」の他人が誰なのか私にも分からない。自分が勝手にあれ、今日いけてると思ってたけど世に出たら全然いけてないやん、と思っているだけなのかもしれない。他人と見比べてばかりいるからそうなる。

私の目のことひとつ、誰が気にするんだよ、というのと、誰か私のこと気にしてよ!というのはいつもセットでやってくる。暇だな、と思う。虚しい。

曲だってそう、もっとセンスっぽい、だらしなくない、むきだしじゃない、みっともなくないものをと思いながらも、こういう自分の姿を愛しているから、あんまりにもありのままだ。あんまりだよ。でもそれを愛してる。

こうして言葉にしていると、本当に私は私のことが好きだな!!と思ってびっくりする。毎度のこと。そして安心する、なんだまだ全然自己愛まみれで、自分のことばっかりで、よろしい。

3万円で二重になれる、でもそれは私がかわいい私になりたいからやりたいんじゃなくて、二重にしてみたら誰かの目に留まる?誰かにかわいいと思ってもらえる?みたいなところに重心があって、多分その気持ちよさはあんまり長続きしないんだろうなというのもわかってる。欲求の重心を計る。

あー私よ、どんな形になっても、責任持って最後まで私が愛してあげるからね。

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