少し前に実家に帰った日の日記。
夜行バスではない夜のバス。3時間少々の旅。今回はタブレットでいくつかプライムビデオをダウンロードして来てて、くれなずめと映像研のアニメを数話観た。1回目の休憩ではコンビニでホットコーヒーとバターサンドを買った。
近くはない。それでもあの頃よりは随分近い。この時間がすごーーーく好きだけど、あと何回できるのか!
きみはいい人という曲をアップしました。3ヶ月くらい寝かせて、やっとやっと載せられてうれしい。
きみはいい人、というのはつまるところぼくはいい人、という曲です。
友だちから集めた動画の私は全部ニコニコしていて、全部楽しくて愛おしくて美しい瞬間だったことを覚えているものばかりだったから、こんな歌詞に当てることはとても失礼というか、カウンター的というか、自分の中でもすごく悩みどころだった。でも、どうしてもそうじゃないと意味が無いと思って、こういう映像にしてみました。
詩先行の構成、だから一言も無駄な言葉はないし、一言一句本当のことばかり、嫌になるほど思ってることしかない。今ならこれが遺言でもいい。
きみはいい人
土俵を降りて管を巻くふり
きみはいい人
諦め上手
きみはいい人
傘を分けて肩を濡らしてうれしそうだな
毒にも薬にもなりはしない
きみは
飲んだ言葉で花が咲くと信じてやまない救いようのないきみはかわいい人
ありがとう ごめんね二択ならあみだくじでもいいよ
誰の記憶にも残らない聞き分けのいい人
きみはいい人すべてに怯える都合のいい人
きみはいい人
はにかむばかり
きみはいい人
以下、きみはいい人が生まれた日の日記の下書き。
自分のあまりのいわゆる「あの人いい人なんだけど、要領悪いんだよねぇ」感に嫌気がさして、そういう歌を作っている。んだけど、あまりにも刺さりすぎて辛い。辛いけど歌にしたい。映像も一緒に浮かんできて、傑作なんだ。自己満足でいいんだ、これを形にしないと私はいわゆるを抜け出せない、そもそもいい人ってなんだろう、よく見られたい人の間違いか?
ということです。いい人をやりすぎて損することが多いけど、でもそれだって自分で選んでそうしたんでしょ?と自問自答を繰り返すたび、自分のことを遠ざけたくなっていく。
ああ言った、こう言った、この街に住んで、こう過ごす。全部自分で選んでそうしたんでしょ。
受け入れるのも、悔しがったり、嫌がったりするのも、全てはポーズなんだなと思う。本当に欲しいものを欲しがってみなよ、できるとかできないとかじゃなくて、なんとかなるから、と、得体の知れない不吉な塊は背後からわたしの手に手を添えて、1冊1冊、惰性で読んでいた本を閉じていく。