さかなは鈍感

人の悲しみを想像して、分かった気になっている自分に直面することが、何よりも悲しい。感受性鋭いごっこも大概にしろ、人の心は人の心によって計り得ないもの。そう思っていても、あらゆる立場の悲しいことを想像しようとしてしまう。傲慢~!!!そして他者を哀れんで自分はまだ大丈夫だと安心しようとしているんだきっと!!世間はこんなにも、蓋を開けずも匂ってくるような悲劇にまみれている、はずなのに、どこか遠い国の話のように感じてしまう。都合よく見ないふりをする。

 

毎日いろんなことが起きている。でもそういうことは、わたしを除いてのように思える。全然悲劇的じゃない。それでいい、これからもそうだといいなあと思ってる!全然悲劇的じゃない。だからたくさん想像して、あーなんて乏しい、そんな人の気持ちを、分かったつもりになりやがって。

長い長い前置き。前置きというか、結論。

 

とっても死に弱い。悲しみに弱い。ペットだっておばあちゃんだってお父さんだって友達だって、私だって、いつか死んでしまうって分かってる。そんなこと誰でもわかってる、でも想像してしまう。普通に会話していて、その瞬間を想像して泣いてしまいそうになることがある。

今まで近い親族が亡くなったことが無くて、だからこれは全部想像の範囲の話。私の頭で考え得る、見聞きしたことの継ぎ合せ。私が満足にその人に何かを与えることが出来ないこと、本音を打ち明けられないこと、感謝を伝えきれないこと、力になれないこと、それらの後悔を残したまま死に目にあえないこと、それがなによりも怖い。大事な人なんてこんなに増えなければよかった、もっと厳選されたままでいてほしかった。全員大事にしたい。全員死ぬ前日に私に教えてほしい。教えてほしかった。

 

誤解のないように聞いてくれ、私、寿命が見えるようになりたいんです。自分のはいいけど、人のが。そうしたら今ほど迷ったり悩んだりしないし、大事な人全員の死に目に立ち会えるようにするし、今よりちょっとは後悔のない人生を送れる気がするし、大事なことを大事にするべき時に大事に出来る気がする。ロマンチスト、妄想癖。デスノートかよ。祈らせてよ。でも、そんなの特大サイズのエゴ!みんなどうやって割り切りながら生きているんだろう。

 

近しい、本当に近しい親族が癌になった。知ったのはおよそ二年前で、たくさん泣いた。どうしたらいいか分からなくて、自分の無力さが悲しくて、ひたすら自転車を漕いだことを思い出す。今考えたら、意味がわからないけど...。電話で癌のことを聞いてから初めて会ったときも、あと何回会えるのかと想像して泣いた。抗がん剤はお休みしていたけど、最近具合が悪くなって再開。別れを延ばす手段なはずなのに、それを試せば試すほど、別れが近づくように感じる。不思議!会って話しても元気そうで、普通に過ごしていて、だからそれに甘えて、背景にはずっと目を瞑った。ずっと元気でいてね、なんて小さい頃はよく言っていたけど、もう軽々しくは言えないなぁ、ずっと元気でいるなんて無理だもんね、うーん。悲しい。本人が一番辛いことも分かっているけど。あの覚悟を含んだ笑顔を見ると、いや思い出すだけで、どうしても涙が出る。どんな気持ち?本当は不安?何を想像したかなぁ、

そんな時、あの自分に出くわしてしまう。これこそ全部想像の範囲の話。全然悲劇的じゃない、ゆとりの私の、悲劇のつまみ食い。

 

もう一つこの流れにまつわることで書きたい 話があるけど、長くなりすぎたのでそれはまた今度...。

私は私のことをすぐ批判して、こういうところがだめだ考え方がだめだと書きたがるけど、それは突き詰めれば自己愛で、予防線をたくさん張りたいだけだ。自分のことは好きだし、傷つきたくないし。私に足りないのは覚悟だと思う。あらゆる覚悟。

 

 

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さかなの目

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